前回の『2015年 相良路サイクルフェスタ[1]』からの続きです。
国指定重要文化財の『岩屋熊野座神社(いわやくまのざじんじゃ)』から再スタートして次の観音様『矢瀬が津留観音』へ向かっています。
途中、稲穂がたれた田園を通り過ぎていきます。標高の低い山というか丘にはさまれた田園は、田も道も小さめで独特な風情があります。団体行動中なので停車して撮影できないのが残念。この移動中の景色をどう上手く撮影するか思案中。
矢瀬が津留観音
『矢瀬が津留観音(やぜがつるかんのん)[人吉市西間上町]』は、相良三十三観音の第三番札所。こちらは限定開帳です。
由来
相良長頼(さがらながより)は、城の明け渡しを拒んだ矢瀬主馬祐(やぜしゅめのすけ)を謀殺。矢瀬の怨霊をおそれた相良氏が祀ったのが十一面観音。この観音像は、もともと「増運寺」の観音堂にあったものを火災以降、この場所に移しました。現在は街の一角にひっそりと存在する観音堂です。
こちらが十一面観音。その名が示すとおりに11の顔をもつ菩薩さま。
別名では大光普照(だいこうふしょう)観音とも呼ばれ、頭上の11面のうち、前後左右の10面は菩薩修行の階位である十地を表しています。
観音堂の周辺は閑静な住宅地で、往来に利用する道の交通量は非常に少ない。
観音様の目線の先に咲く彼岸花が美しい。
そんなユッタリとした時間の中、お接待所では好評飲食中です。
さて、小休止もそこそこに次の観音様をめざします。人吉の中心部をすぎて球磨川沿いを下ります。腰まで川に浸かった釣り人がなにか狙っているようです。
三日原観音
次の観音様は『三日原観音(さんじがはるかんのん)[人吉市下戸越町]』。相良三十三観音の第四番札所。こちらの観音様は聖観音。限定開帳です。
由来
観音像の由来についてハッキリとした事は現在分かっていません。ただ、本堂の香炉台には享保11(1726)年の銘が刻まれていたり、正面のワニにも天保13(1842)年の銘があることから、江戸時代頃から信仰されていたようです。
また、言い伝えには、女性の胸の形をした物を奉納すると乳の出が良くなるとのこと。
三日原観音は少し小高い場所にお堂があり、そのまわりには農耕地と球磨川の流れがみえます。ここら一帯、昔はどのようなロケーションだったのか気になる観音堂です。
川に沿ってサイクリストの多様な自転車がならびます。
鵜口観音
三日原観音を後に、球磨川を縫うように走りながら村道や堤防や県道沿いを通過すると『鵜口観音(うのくちかんのん)[球磨村三ヶ浦鵜口]』へ到着。ここは相良三十三観音の第五番札所。こちらの観音様は十一面観音。限定開帳になっています。
ちなみに、鵜口観音の対岸には、日本三大急流のひとつに数えられる球磨川を、壮快に川下りできる『くま川下りわたり発舟場』があります。
由来
詳しい由来は不明ですが、鵜口観音は、以前『舟戸観音』と言われていました。また相良三十三観音でもっとも西の札所。鵜口地区は球磨川に面していたため、物資流通の重要な中継点として栄えました。その運搬の安全祈願のために観音堂が建立されたようです。
観音堂は山の斜面の高台にあり、昔利用されていた石段の急斜面ぶりはなかなか体験できません。現在はゆるやかな舗装路が境内までつながっています。
この境内から鵜口地区の街並を、少し上から眺めることができます。
また、近くをJR九州肥薩線(ひさつせん)が通っており、タイミングよければ蒸気機関車『SL人吉(エスエルひとよし)』を見ることができるでしょう。
この日、お堂のそばには手作りの飾り傘がいくつも置いてあって、貼り紙には「自由にお持ち帰り下さい」と書いてありました。手作りの飾り傘には、とても温かみが感じられました。
さて、鵜口観音から再スタートする頃にはお昼。そうランチタイム(お弁当)の時間です。このイベントでは参加料にお弁当代が込んでいます。なので、今から昼食を頂ける場所が確保してある『石室観音』へ向かいます。この後は『2015年 相良路サイクルフェスタ[3]』へ続きます。
文明堂 | V! カステラ(スポーツカステラ) |
---|---|