前回の2015年 相良路サイクルフェスタ[2]からの続きです。
『相良三十三観音霊場』を自転車で巡るイベントは、快晴のもと順調にすすみ、そろそろお昼時。昼食はイベント開催側がお弁当と食事場所を用意してくれるので、私たちはガイドさんの後をヒヨドリ達のように後に続きます。
石室観音
めざす場所は『石室観音(いしむろかんのん)[人吉市下原田町]』。ここは相良三十三観音の第七番札所。こちらの観音様は聖観音。常時開帳になっています。
由来・特徴
なぜ、石室観音と呼ばれているのか明確には分っていません。
ある言い伝えでは、永年(1500年頃)に原田加茂明神と石室寺の間で、境界を巡る傷害事件を発端とした殺害事件をふくむ騒動が勃発。先に相手を殺害した石室寺の寺住の兄が処刑され、そのあと石室寺は廃寺。石室寺にあった観音堂が石水寺に移されたあと、人々は石室観音と呼ぶようになったといいます。
さて、昼食は境内にある公民館のような畳敷きの広間でいただけます。ありがたいことに、温かいお茶も出していただけました。食事に利用できる時間は20分くらい。なぜなら、別の班がこのあと到着して食事をするからです。
ここでの休憩時間は、食事時間をふくめて50分くらいあります。
この食事が終わるごろのタイミングに合わせて、本堂の宝物殿に展示されている『地獄十王図』をふくめた絵画や像を、ガイドさんの解説つきで見ることができます。
展示された掛け軸の一部。中央奥に鎮座するのが『おびんずるさま』
[地獄十王図:十王は、冥界で死者の生前の行いの裁判をする十名の王のこと。この裁判で人間の転生先(または地獄行き)が決定される。]
石水寺境内の西側に観音堂があり、そちらに聖観音座像が安置されています。
また、石水寺には、嘉永7(1854)年に架けられた石橋と、大岩をくりぬいた門があって、お寺の特徴にもなっています。
さて、お弁当も食べて見学もして十分な休憩をとることができました。そろそろ再スタート。次の観音堂へ向かいましょう。
嵯峨里観音
石室観音をあとに、食べたカロリーを消費しようと思ったら、すぐに『嵯峨里観音(さがりかんのん)[人吉市下原田町]』へ到着。ここは、相良三十三観音の第六番札所。観音様は十一面観音で限定開帳です。
こちらの観音堂は、田園豊かな農村地の公民館敷地内にあります。
由来・特徴
嵯峨里観音は、厨子(ずし:仏像・仏舎利・教典・位牌などを中に安置する仏具の一種)に入った十一面観音像で、
「宝暦2年(1752)豊前中津仏師長谷川伝吉」との胎内銘があります。ご利益は、子供達の健康と幸せを守り、家を火災から守ると言われる。
また、境内には「正徳3(1713)年」と刻銘された『庚申塔(こうしんとう:中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔)』建っています。
公民館前にはテントが用意され、地元の方々の有難いお接待を受ける事ができました。
湯の元観音
さて、再びペダルを踏み始めます。垂れた稲穂がどこまでも続く田園地帯をぬけて球磨川へ近づきます。次の霊場は『湯の元観音(ゆのもとかんのん)[人吉市温泉町]』。ここは、相良三十三観音の第八番札所。観音様は聖観音で限定開帳です。
こちらは名前のとおり人吉温泉発祥の地に祀られています。
由来・特徴
湯の元の名は、林地区の林温泉の源泉近くに祀られていた事から呼ばれています。立派な聖観音の本尊は室町時代頃の作りとも言われる。しかし、昭和40年の大水害によって観音像は所在不明となり、現在のは新たに祀られたもです。
また、こちらも敷地内に『庚申塔』を見付けることができました。
当時は、温泉神社と隣り合わせでしたが、現在は、すぐ側に移転して公民館の横に安置されています。観音堂の前には市営の『人吉市老人福祉センター』があり温泉に入れます。やや黄金色の湯につかると、肌がつるつるすべすべになるそうです。
湯の元観音は閑静な住宅街に馴染んだ佇まい。道幅は車一台分くらいで、自転車を両脇に停めるとこんな感じ。
老人福祉センターの敷地内にある電柱に、洪水時の水位が記されてありますが、女性の身長をゆうに超えるもので、当時の水害の凄まじさを知ることができます。
観音堂の前に生育する銀杏の木が、訪れるたびに良い感じです。
ちなみに、2011年の銀杏はこんな感じ。成長してますね。
さあ、相良路サイクルフェスタも終盤。しかし、今回も長文になったので『2015年 相良路サイクルフェスタ[4]』へ続きます。次回で完結です。
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